「ナエマの丘」

祖父の形見

オアフ島の朝の海辺

 

私が銘木を使って制作をしているのが疎遠の母に伝わったらしく、祖父の形見である大工道具(鉋三台とスコヤ)が送られてきた。

 

祖父が亡くなったのが30年くらい前。最後に姿を見たのは私がたしか小学一年生くらいの冬の寒い時期だった。祖母に呼ばれて病院の待合室からベッドの脇へ行き危篤状態で横たわっている祖父の手を握った感覚を今でも覚えている。そのあと父が「夜も遅いし、明日は終業式もあるから」ということで足早にその病院を離れた。それ以外に祖父の記憶はほとんどない。自宅の裏に木工の作業場があったが仕事をしているところは一度も見たことがない。覚えているのは三姉妹だった母の妹がガンでなくなり元気のなくなった祖父の後ろ姿。うつむきながら階段を登っていく祖父の後ろ姿。大工道具

 

せっかくなのでまず一台の鉋をリペアをしようと思ったが裏金がない。銘を見てみると「井上」の銘がある。井上刃物さんだろうか。

井上刃物さんは祖父の家に近いこともあり以前に一度寄らせていただいた。裏金があるか見てもらいたいので再訪しようと思う。

井上刃物の鉋

 

祖父は子供が娘ばかりだったので跡継ぎはおらず弟子が1人いたそうだが、祖父が亡くなってからは仕事が続かなかったようで現在は行方知れずらしい。作業場はとうに解体されて現在ではアパートが立っている。つまり祖父の銘木大工としての名残はいつのまにかこの道具と記憶の中だけになった。

 

祖父の「頼正」という名前の「正」が私の名前に入っている。母からお爺ちゃんの名前をもらったと聞いた。その影響があるのかは知らないが小さいころから木材を触るのが好きだった、現在のように。

 

一度だけ大工の道を諦めきれず26歳頃のことだっただろうか、工務店に面接に行った。しかし先方曰く、26歳では職人になるには遅いと言われた。そして給料も家族を養っていくには難しい金額、さらに住み込みでの修業が必要と言われたので小さい娘がいる私は諦める判断をした。

 

40歳を目前に控えた私は現在の制作をしていてとても楽しいので結果は良かったかもしれない。もしかしたら工務店によっては技術や伝統的な技法は過ぎ去り、スピード重視・量産重視の作業をくり返していたかもしれない。様々な情報が手に入るネットの世界で伝統的な技法について自分の中で模索と探求を続けるのはとても自由を感じる。

最近はPCの起動時に出てくる美しい風景にも制作のヒントをもらえる。その中でアントニオ・ガウディの世界遺産建築である「カサ・ミラ」の屋上に建っている煙突の造形美にとても心が響いた。あの曲線は私が知りたかった曲線だ。あの滑らかさを取り入れたい。

 

 

 

継がれるものもいつかは消えていく。おそらくこの記憶もいつかは消えるが遺伝のようなものを感じれただけで私にとっての制作は有意義であったと思う。

 

  • この記事を書いた人

ケラ

とくに何もない人。何かが人より秀でているとか自慢できるスキルがあるとか羨ましがるキャリアがあるとかが何もない人。時折キャンプに行ってます。料理を作るのが好きです。

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