「ナエマの丘」

曲線試験 7

オアフ島の朝の海辺

2022年も半分終わった。時間があっという間に過ぎていく。

いつからか人生の残り時間を考えるようになった。生きる目的を失った時期もあった。

 

年初に始めたランニングはずっと続けている。来年は東京マラソンにでも出ようかなと考えている。筋トレのベンチプレスは60kgを上げるのがやっとな状態。予想以上に筋肉が衰えている。

 

ランニングの時に何を考えて走っているのか。

最初は走るペースや関節の具合などを気にしながら走っている。

次第に呼吸が整ってくるとペースを上げる。

そして疲れてくる。止まりたくなる。歩きたくなる。

辛い。やめたいと思いながらも走り続ける。

「負けない。絶対負けない」を言い続けながら走り続ける。

次第に気持ちが怒りに変わってく。日常の不満や怒りを思い出す。怒りが力に変わり体を前に進める。

怒り続け走り続けて5kmのランニングが終了する。怒りが冷めると突然、絶望的に虚しくなる。

 

 

私はいつも怒っているような気がする。仏教では怒りを「三毒」といって心を蝕む煩悩、克服するべき根本的な苦しみの根源の一つとして説かれている。今の私にとって怒りはトレーニングでは必須の存在になっている。怒りが力に変わっている。

 

私の心はどうなっているのだろうか。

 

自宅ではいつもしかめ面をしている。早く借金を返したくて制作を急いでいる。時間を無駄にしたくない一心で常に思考を巡らせている。心にスキを作らないようにいつも警戒している。

今の家庭は私にとっては休まる場所がない。常に孤独でいることを望んでいるように感じる。心を開くことを拒んでいる。

それでも娘がちゃんと育つように気を遣っている。しかし娘には見透かされているのだろう。

 

怒りが力に変わっている。

許すことができない。自身を許せないから他を許せない。

自身をトレーニングで痛めつける。自分を削る。削って削って最後になにが残るのか知りたい。あるいは消えてしまいたいと考えたりもする。

 

ルオーの絵を購入した。複製、でも心の中にしまいたい愛するルオーの作品。

マティスのリトグラフも購入した。マティスの構図がどうしようもなく私の心を癒し満たしてくれる。リビングの壁にかけた絵を眺めていると「どうしたの、ボーっとして。頭おかしい人に見えるよ」と言われたが「ほっとけ」って心の中でつぶやいた。やはり一人で観るしかないのかと嘆く。

美の表現方法はたくさんあるけど私は絵画や彫刻に心を奪われることが多い。私にとってアートは心の宿主、あるいは器になりうるのだろうと。

 

年初から常習化していた飲酒を週末のみにしたが最近はほぼ飲まなくなった。嫌いになったわけではない。きっと気の合う人と飲むお酒は美味いのだろうと妄想をしたりもする。しかし理性が鈍る間隔がウンザリもする。素面(シラフ)で観るアートと酔っぱらって観るアートの違いと伝えればわかるかもしれない。研ぎ澄ましている理性を失いたくない。

 

お酒を飲むと気持ちが緩んで笑顔になる。そんな私を見て一緒にいる家族も和む。そんな時間も大事かもしれない。

しかし私は理性を研ぎ澄ませた時間を共有できる場所を探している。知的欲求を満たしてくれる場所を求めている。知性のパラメータを下げて愚痴を言ったり週刊誌のような話題で盛り上がりたいならどこにでも場所はある、今の職場のように。

 

いつか求める場所に辿り着くまで孤独でいることを恐れず進み続ける。ナエマの丘に向かって進み続ける。

 

  • この記事を書いた人

ケラ

とくに何もない人。何かが人より秀でているとか自慢できるスキルがあるとか羨ましがるキャリアがあるとかが何もない人。時折キャンプに行ってます。料理を作るのが好きですが食べるのはあまり興味ない。

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