11月11日、仕事帰りに新潟県の美術館に寄った。
越後妻有現代美術館。
以前から気になっていたのだが足を踏み入れる勇気がなかった。
美術館から出てきた私は心を大きく深くえぐられたようであった。
今思えば私が満たすべきだったのは物欲でもなく性欲でもなく制作欲でもなかった。
この美術館は道の駅と温泉施設が合体している。
ウクライナの芸術家の作品があった。石を磨いて切断したインスタレーション作品。作品のすぐ脇の壁に掛けられている液晶ディスプレイには作家の石を拾ったり磨いている映像が流れていた。その隣には戦争の渦中での体験などを語る映像とインタビューした人の似顔絵なども展示してあった。ウクライナには行ったことはないがどこか懐かしい気持ちと郷愁のような寂しい気持ちになった。
美術館内は二人組の女子が多かった気がする。普段は気にならないが作品を眺めるたびに視界に女子が入ってきてコソコソ話す声やスマホの写真音が響くので当然聴覚を刺激される。撮影禁止ではないようなので仕方ないが。私は写真を撮ろうなどと考える時間があるなら作品に没頭したいしスクショしたところで心の中に収めることはできないし作家との一対一で向き合うその瞬間をスクショで残すことも私にはできない。ので写真は撮らないし撮る必要がない。
別にいやみではない。ルールさえ守れば他は自由だかどうか私の大事な時間を損ねないでほしいというのが隠しておきたい本音だ。
芸術家はとても遠い場所にいる。しかし作品を通してその心を垣間見ることができる、触れることができる。繊細な襞に触れられるこの時間はとても官能的だ。
この日から数日経ったが心が軽く感じる。上を見上げる事が多くなった気がする。晴れやかな空だ。
私に必要だったのはコミュニケーションだの努力だの我慢だのといったストイックな理念ではなかった。ただそれだけだ。
自分が満たされていないときは惨めだった。ジョギングや筋トレでごまかそうとする、難しい本を読んで乗り越えようとする。
ルオーの版画集を買った。ヤフオクで1万円だったがそのあと別で探したら中古で4000円くらいだったので購入。新品なら35000円するらしい。以前にも別のルオーの本を買ったがやはり物足りなかった。ホントは本物の版画が欲しいが今はこれで我慢する。
ルオーを強く求めている。その熱量を。ルオーのアートへの情熱とクリスチャンとしての信仰心が螺旋状に交じり私の心に深く刺さっていく。
明日は休みなので早朝からジョギング。の前にこの本を読みながらルオーを感じることにします。