始めたといっても下記の金額なので微量ではあるが。
私は小学生の頃から辞書を持ち歩くほどいろんなことに興味があった。というかそのとき気になったことをすぐに知りたかったし解決したかった。いろんなことを教えてくれるウィキペディアにはとても感謝しているので少額ではあるが毎月300円くらい払い続けている。その他にどうぶつ基金に毎月1000円、グッドごはんに毎月1000円、さらに応援しているユーチューバーが動画をアップするたびに毎回800~2000円くらいの投げ銭をしているのでトータルで毎月5000円くらいの支出。
どうして支援をするのか。理由は明白で気持ち良いからだ。5000円の買い物をするよりも支援の方が満たされるからだ。
この歳になると何かを手に入れたり手放したりするのがとても虚しく感じるようになった。モノを貰うにしても気を遣ったり遣われたりで疲れる。食事も食べて満たされることがとても少なくなってきた。他人が食べているところを見た方が満たされるようになってきた。つまり満足の終着点が自分自身ではなくなってきた。そんな気がする。
ウィキペディアはこれからというよりもこれまでに感謝して払い続けている。どうぶつ基金はテレビで可哀想な犬猫を見て涙ぐんでいる奴が5分後にはシラフな顔でSNSをチェックしているのを見てマジでクソだなって感じたので具体的な応援をしようと考えて始めた。グッドごはんはYouTubeのCMを見て半泣き(ホントは全泣き)してしまったので始めた。CMの中でお母さんがご飯を買うお金が無くて子供たちにだけ食べさせ自分は水だけを飲んでいるのを見て過去の自分と重なってしまった。
私は以前に転職を繰り返し生活がどん底の時期があった。コンビニで子供がなにか食べたいと言われたときに小銭入れをひっくり返して10円玉を数えたときもあった。そのお金を持ってレジに並ぶのが恥ずかしいので子供だけをレジへ行かせた。どうしようもないどん底だった。食べ物がないってのはとにかく辛いしストレスが溜まる。声も荒げる。口論が多くなる。自分に甲斐性がないのはわかっていた、とにかく辛かった。
仕事で2泊3日のときにお金が750円しかないときがあった。使い方の内訳は今でも覚えている。
1日目、弁当1食持参。
2日目、朝にコンビニのカップラーメンとパン350円
3日目、眠気に襲われた午後にエナジードリンクとコーヒー350円
で50円のお釣り。3日目は空腹をとるか眠気をとるかで迷ったのを覚えている。ジュースを買うお金も残らなかった。高速道路のPAのトイレで歯磨きをするふりして水を飲んだ。
その経験あって子供が残すかもしれないことを想定して自分が何を食べるかを考える癖がついた。つまり子供がご飯を残しそうであれば私がそれを処理するのを想定して食べる量を控えるようにする癖が。とくに外食では支払い金額を抑えることができるのでメニューを見る前に子供が注文するのを待っている。しかしそれでは空腹でストレスが溜まってしまうので外食に行く前にご飯を軽く食べる癖もついた。
辛いことを知ると賢くはなるが心が貧しくもなる。どこかのお母さんが心を無くしてしまう前に少しでも胃袋を満たしてあげたい。
今、我が家では大量にお菓子を買い込み食べきる前にまた大量に買い込むを繰り返し、もったいないと思い私が食べればさらに消費量が増え買う量が増えるという循環を繰り返し、賞味期限の切れたものや食べずに放置されているお菓子を捨てる役目を私は仰せつかっている。
ディーラーで買い続けた車を中古にしようかと相談すると機嫌が悪くなり保険金殺人を計画してるんじゃないかと疑うような契約を見直してみたらといえば機嫌が悪くなる。埋まらないものをずっと埋め続けるような行動を見ていてとても虚しくなる。建設的なことが何もできない。まるで嵐の空に紙切れを飛ばすようなこの行為に終わりはあるのだろうか。
あのときの苦労は何だったのか。なんのための苦労だったのか。今こうして欲を貪るためだったのだろうか。
支援は今の私の生き方に虚しさを感じているからかもしれない。他愛のためではなく自身の心を埋める行為なのかもしれない。他愛なんて考えていないかもしれない。
こんな話はやめよう。
思い出した。あれは私が保育園の保母さん体験に参加したときのことだ。
娘と仲良くしていた1歳歳上の女の子と保母さん体験で遊んでいるときのことだった。たしか名前は「うーたん」だった。うーたんは母子家庭でお父さんを知らなかった。うーたんの生活環境はお母さんを見ればだいたいのことは理解した。お母さんはいつも同じような服装でいつも疲れ切った顔をしていた。たしか東北の生まれで結婚してこちらに引っ越してきたと言っていた。品の良い顔立ちをしていたが美容に手間をかける暇もなく親は遠くにいるので頼る人もいなかったのだろう。うーたんには小学生のお兄ちゃんがいてサッカーをやっていたそうだがいじめやらなにやらでいろいろ苦しんでいたらしい。結婚相手はよっぽどダメだったのだろう、離婚後は音信不通、養育費も0円、見知らぬ土地でたった一人、2人の子供を育てていた。
保母さん体験でうーたんと私は、最初ぎこちなく接していたが次第にうーたんは心を開いてくれて終盤には膝に乗って甘えてきた。それを見て保母さんが笑っていた。腕の中に潜り込んだり駄々をこねたりしてとても可愛らしかった。となりで娘が見ていたがヤキモチを焼くでもなく代わってほしいというでもなくどこか見守るような眼差しをしていた。
しかし終わりのチャイムが鳴るとうーたんはまるでスイッチを切った機械のように無表情になり、その場を立ち上がり静かに教室を去っていった。
あのときのうーたんの後ろ姿が忘れられない。
マジでこの世は残酷すぎる。あんな健気な女の子に、家族にこれほどの試練を与えるとは。
私のようなクズにはどぎつい拷問を与えてもらってかまわない。しかしうーたんのような道を選べない小さな子にきつすぎる試練を与えないでもらいたい。とても辛い。この世はマジでクソすぎる。どうしてこうなるんだ。人生を選べるとしたら誰がその生き方を選ぶっていうんだ。
今頃は高校受験か。無事でいたらではあるが。あんな環境でどうやって生き残るんだ。
心のどこかでずっと後悔していたのかもしれない。何もできない自分を。
今でも何もできないしこれからも何もできずに終わるが、何もしないよりかはマシだ。そんなトコだろう。
リンクを貼っておきますがおそらく誰もリンクを見ないし支援には参加しない。理由は明白で助ける気持ちがこの世には少なすぎるから困っている人が絶えないしこのような形で支援を募るしか方法がないにもかかわらず現状では支援が行き届いていないから。
しかし、目の前が真っ暗でも前に進み続けていたい。私はそういう生き方をしていきたい。
これがナエマの丘へと続いていれば良いが。