自身で作ったものを売り始めてからいろいろ学んだ。
作ったものが売れないことよりも制作にかかった時間と費用と技術の対価を考えてもらえないことがこれほどまでに辛いとは思わなかった。とはいえ私も以前は欲しいものがより安く手に入ることだけを考えていた。つまり自分が得をする事だけを考えていた。値下げは製作者側に残るお金が削られることだと今さら知った。なので閉店セールの謳い文句に足を運ぶ行為は相当残酷な事だったんだなと。
販売する側のウンチクを言いたいが野暮だな…。結局は私が商売の知識を身につけることを避けてたし怠けていた。これに尽きる。
現在の制作時給を換算すると50~100円くらいか。
作り始めは作ったものが売れる喜びでモチベーションを保っていたがジリ貧が続いた。安いもの、どこにでもあるものと差別化を図るために価値のある材料を使い高価格帯(4~5万円くらい)で挑んでみたがブランディングされていない高額なものにはほとんど興味をもってもらえない。なので認知度を高めるために原価販売を続けていたが最近はそれもしんどくなってきた。2万円前後の販売価格が制作を継続するためのセオリーだと肌感覚で感じているので今までと同じことをくり返していけばおそらくは認知度も上がるかもしれないが私がしたいこととは道が逸れてきてしまっているような気がする。いや私の中の方向性が変わってきたのだ。
木象嵌の修業。さらに美しい銘木に彫刻刀を用いた造形の探求がしたい。
そろそろ思考をこちらにシフトしたいけど懐が寂しすぎる。道具を買う資金もない。借金が全然減らない。AGAの治療を辞めれば毎月1万円の支出は減るがもう少し待ってほしい。在庫が全部売れれば10万円くらいにはなりそうなのだが。手売りでもするか…。
パートナーは自身の鏡だとよく言う。忘れがちなことだが最近はその言葉をよく思い出す。なぜそのような言動をするのかを考えてみるとどうやらそのような言葉かあるいはそう思わせてしまうようなことを私が普段からしてるんだろうなと考えるようなことが多くなった。長く一緒にいると傲慢になりがちで鈍感になりがちだ。いつも気づかせてくれるのは娘の存在だ。終末を感じるほど自己中でクズな私だが娘は大事なので時折冷静になり相手の気持ちになって俯瞰で考えるようになった。その時に見える私の姿は非常に愚かだ。悔しくも卑しい。醜い。何を貫きたいのか。何を守りたいのか。欲と意地と執念と執着と。
自身の中身をひけらかしたら娘に合わせる顔もないだろうな。こんな大人になる予定ではなかったのだが。悔しい。
全てを許して借金を忘れて大型バイクを買って湾岸道路を疾走したいなぁ…って夢を見るくらいいいじゃねぇかよ。