先月、週初めの月曜日の早朝。
県境を流れる川の土手でサイレンがたくさん回っていました。
私のいた場所からは200mくらい離れていたのではっきりと見えなかったのですが
何かがぶら下がっているようでした。
救急隊員が同じようにロープでとなりにぶら下って何かを確認しているようでした。
近くを通りかかった人でしょうか、腕を組みながら心配そうに眺めています。
それを見たときに10年位前、苦から自殺してしまった友人を思い出しました。
その日は、いろいろと考えました。
心や体を壊してまで続けなければならない事って何でしょうか?
それは死にたいと思い詰めるまでやらなければならない事でしょうか?
答えは NO と言いたいですが、よくわからなくなってきました。
「死ぬ」行為に到達した人がどんな気持ちなのかは、
簡単に言葉にできる事ではないし、
してはいけない気がします。
なぜならもうその人から気持ちは聞けないし、私は助ける事が出来なかったからです。
「お金のため、生活のため、生きるため」に努力することはとても大事ですが、
頑張りすぎて、境目が分からなくなってしまうときがあります。
とは言っても日々の生活に追われることの多い現代では簡単には休めない。
与えられた仕事をこなさないといけない。
働き続けないと支払いが追いつかない。
働き続けないと家族を養っていけない。
色々と悩みながら頑張っていると思いますが、
上司に言われるまま、目的も見失い消化不良にながら遅くまでクタクタになるまで働いて
「なにやってるんだろ…」ってぼやいたりする事はないでしょうか?
以前に私が勤めていた会社では、毎日朝早くから夜遅くまで働き詰めは「当たり前」、
休日にいきなり呼び出されて、
社長宅の引っ越しとリフォームを「無給で、当たり前」のように手伝わされたことも。
とび職未経験の状態で建築現場の4階の足場で命綱も付けないで作業させられる事も「当たり前」のようにありました。
当時ですでに危険と分かっていたホルムアルデヒドが使われている解体現場を
マスクなしで「当たり前」のように作業。
仕事のできない人は、話をしている途中でも後ろから脇腹をいきなり蹴られたりする直球のいじめが「当たり前」のようにありました。
こんな「当たり前」がずっと続くといろんなことが麻痺。
給与明細を見た妻が舌打ちをして休日もほとんどないことに文句を言われ、
死んだ目で仕事に行って帰ってきての繰り返し。
死んでもしょうがないかなと半ば諦めて仕事していた時期もありました。
何かを考えるのも嫌になっていました。
完全に負のスパイラルに落ちていました。
そんな経験をした私から伝えたいのは、
まず、そこから抜けてみませんか?
たとえ目標や夢が無くても、ちょっと怖いけどお金が無くても
その日を「完全燃焼したぜーーーーっ!」
って叫びながら一日が終われる事はとても大事だと思います。
それがあなたにとってどんな仕事なのか、知る事は大事だと思います。
探せばきっと見つかると思います。
もし仕事を見つけたら、まずは全力で「完全燃焼」してみて
「違うなぁ…」と感じたらすぐに他を探でばいいんです。
「完全燃焼できる仕事」が見つかるまで何回も転職してほしいです。
転職ばかりして世の中に迷惑かけたっていいんです。
そのかわり「完全燃焼できる仕事」が見つかったら充実した人生を過ごしながら迷惑かけた分を返せばいいんです。
借金してしまったりとか、支払いが遅れるとか、
家や車が維持できないとか、ご飯が寂しくなってしまう事があっても
何とかなるものです。無くしたものは慌てずにゆっくり取り戻せば大丈夫です。
まずはそこから抜け出すこと、
そして燃焼できる仕事を見つけるのがとても大事だと思います。
これが私の経験上とても伝えたい事ですが、それができそうになかったら
ゆっくり休みましょう。
命を捨ててまで今すぐ決めなければならない事なんて
何もありません。
回復するまで、ゆっくり休みましょう。